色あせぬ絆” エルトゥールル号
あらゆる事柄に興味を示す昭和世代。遥か明治の時代に和歌山県串本の沖でオスマン
帝国の軍艦が座礁して、当時の地元住民が献身的に遭難者を救出しました。現代の日
本とトルコの国際親善のルーツを、昭和の精鋭たちが南紀の小島に史実の歴史探訪。
太平洋の水平線やー! 南紀は美しい~
ブォ――――――――――――ン
ブオォ―――――――――――――ン
ドド ド ド ド ド ドー!!
もうすぐ紀伊大島や!
シュ―――――――――――――ン
紀伊大島が見えたぞー!
立派なループ橋が現れたで!
これを上れば目的地や~!
エメラルドグリーンだ! 養殖も盛んやなぁ~
おっとー!! ループ橋を飛び出すとこやった!
今回の目的地トルコ記念館に到着。
明治23年(1890)6月にトルコ皇帝特派使節が来日した。9月16日に明治天
皇への謁見を終え我が国との修交の使命を果たして帰国途中、650名の将兵を乗せ
た軍艦エルトゥールル号が帰国途中に熊野灘で暴風雨に遭い遭難。587名の将兵が
いたましくも殉職。生存者は救助された人も含めて69名でした。絶望的な状況の中
地元住民の献身的な救助活動と日本政府の対応により、トルコと日本の友好の歴史が
始まりました。
そして95年後。イランとイラクの戦争が続いていた1985年3月17日にイラク
のサダム・フセイン大統領が「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ飛行機を無差
別に攻撃する」と声明を発表。首都テヘラン空港に取り残された215名の日本人に
日本からの救援機は来ない。その時、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国
でした。タイムリミットのわずか1時間前に2機のトルコ航空機がギリギリのタイミ
ングで日本人を空高く救出してくれました。後に駐日トルコ大使は日本政府にトルコ
の人たちは歴史教科書でエルトゥールル号の事故を知っています。今の日本人が知ら
ないだけで、私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけですと語られました。
日本・トルコ合作映画「海南1890」は2015年12月に全国公開。壮大なスケ
ールの感動作品で、変化の激しい世界情勢の今こそ是非ご覧いただきたい秀作です。
実際の遭難現場らしいで~
のぞいて見よう・・??
岩礁だらけや! それに目の前やがな~
エルトゥールル号の遭難事故を伝える記録資料や遺品類が展示されています。
当時のトルコはオスマン帝国の時代。16世紀前半にはアジア、アフリカ、ヨーロッ
パの3大陸にまたがる領土を築き、栄華をほこっていたオスマン帝国も、この頃には
瀕死の病人と評されるほど国は衰退しており、その領土は西洋列強に次々と奪われつ
つありました。一方、日本もまた欧米諸国と結んだ不平等な条約に苦しみ明治政府は
その解消を模索しているところでした。
明治維新後は同様の立場にあったトルコは日本との平等条約締結の促進と1887年
(明治20年)の小松宮彰仁親王殿下のトルコ訪問に対する返礼と修交の目的などで
1889年(明治22年)7月14日に650余名をエルトゥールル号で親善使節団
を派遣しました。
横浜到着後は明治天皇に謁見しました。トルコ皇帝より送られた最高勲章や贈物類を
捧呈され、使節団は東京に3か月滞在し日本の国賓として熱烈な歓迎をうけました。
横浜を出港した翌日9月16日エルトゥールル号は、和歌山県串本町の紀伊大島沖で
猛烈な台風に遭遇し、紀伊大島東端の船甲羅岩礁に激突して沈没。国を想う587名
が殉職し、生存者わずか69名という大惨事となりました。
120年の時を経て引き上げられたエルトゥールル号の記憶を現代によみがえらせる
遺品の数々が展示されています。
1800年代のウインチェスター銃
砲弾・銃ケース・手提げランプ・銃剣の柄
滑車・金属板・真鍮部品・銅製器
薩摩焼片・弾丸各種
鍛造加工の鍵
人が人を想う・・・その心が最も大切な 鍵や!
エルトゥールル号の将兵に敬礼!!
69名の生存者は明治政府の恩情により、日本海軍の「比叡・金剛」二隻の軍艦で帰
国。1891年(明治24年)1月2日にイスタンブールに入港。トルコ国民は幸甚
の至りと、日本の友情を大歓迎してくれました。
ここが遭難現場か! 船甲羅岩礁は危険らしいな~
水平線にヘリコプターが現れた!
パタ パタ パタ パタ パタ パタ!!
パタ パタ パタ パタ パタ パタ!!
バタ バタ バタ バタ バタ バタ!!
串本消防署の救助訓練のようやな~ 本番さながらだ!
勇敢な救助活動は日本人の誇りや!
今の救援装備があの時代にあればと、不可能と知りつつも思う。
日本人とトルコ人の友好の絆を記念に収めました。
本日の宿を目指します。
ブオ――――――――――ン
蒼海を駆け抜けるぞー!! ♪♪〰♪♪〰 ♫〰 ♬〰 〰
おいで ” イスタン ブ~~ル ~~♪♪
人の気持ちは ” シュ~ル ~~♪♪
だから出逢ったことも~ 蜃気楼 ” 真昼の夢 ~~♪♪
好きよ ” イスタン ブ~~ル ~~♪♪
どうせ ” フェアリ~ テ~ル ~~♪♪
夜だけの ~~ ” ” ” ” パラダイ~ス ~~♪♪
白浜温泉に到着や~
てんてん手鞠 てん手鞠~~♪♪
紀州の殿様 お国入り~~♪♪
金紋先箱 共ぞろい~ 紀州はよい国 日の光~~♪♪
紀州・白浜温泉「むさし」
近代的な建物は温泉街の中心部に聳え立ち、白良浜と街並みが一望できます。
豪華な館内は女将の思いが至るところに輝いている。
おっちゃん達は名湯で寛いでいますが、そろそろ会席の刻限が。
時季のレストラン「梅鉢亭」 個室会席で南紀の味を楽しみます。
お酒好きにはたまらない仕掛けだ。
今宵は「雲海会席」南紀のすべてを召し上がれ。
この品数・・・食べきれないよ~
ご冗談を “ いつも完食されてますがな!
豪華料理は技研の伝統や・・・
おお~ アワビが吹いた!
バター蒸しはたまらんな~
普段は食えん高級食材や!
美味そうやで~ うっしし!!
アワビ色のバスタオルが何とも言えん!
昭和のバイク談義が盛り上がっているようですが、たしかに時代を感じる。
気の合う仲間の会話は延々と続くものですね。
まさしく夜” だけのパラダイス! 会席処の時間も忘れるもてなしでした。
遅くまでお世話いただきありがとうございました。 感謝!
街の灯が落ちました! おっちゃん達もお休みのようです。
景勝地の千畳敷は、今日も清々しい青空が広がります。
広大な石畳は1800年~1500年頃の地層が波の浸食よって形成されました。
三段壁には古くから平安時代に源平合戦で知られる熊野水軍が船を隠したという伝説
の洞窟があります。
さっそく地下に降りてみましょう。
おお~ ここが船隠しか格好の洞窟やな!
波がやばくねえ~か??
ドッボ―――――――――――――――ン!!
あの船隠しでは エルトゥールル号と同じ運命や!
我々 くせ者は安全運転第一やで! そいやー そいやー
日本との間に殆ど交流が無かったオスマン帝国がなぜ、エルトゥールル号を日本に送
ったのか。その時代背景は奇しくも現在の世界情勢と酷似しているように思える。
近くて遠い南紀の海に日本人が知らない史実があった。人が人を想う、その真心が国
を動かす。世界はそうあるべきだと、色あせない素晴らしい絆に感動いたしました。
『トルコ記念館の解説文については現地の歴史文献・説明資料等に基づいています』
イメージ挿入歌 飛んでイスタンブール 庄野真代
鞠と殿様 童謡
企画制作 技研クリエイティブ工房
いつも一緒、素敵な貴方と