地図のない旅 真夏の一円電車とそうめん流し
焼け付きそうな炎天下のもと涼をもとめてとにかく走る!走る!走れば
爽快快適なバイクの旅。
ご安心下さい! 一応オリジナル地図はあるんです。
大人気の「CB1100」を三色三連ちゃんのローアングルで撮ってみた。
3台並ぶとカッコええな~~
俺のブラック“紳士的”なバイクや!!
私のホワイト“淑女的”なバイクだわ!!
どこが紳士で、淑女よ・・。
二人とも“子供”みたいじゃない。
バイクに乗ると“子供”のように嬉しくなるの。
いい~え、いいのよ、実は私も・・。
やばい~!! 聞こえていたみたい!?
たしかにバイクは心躍るけどね。
デザインセンスは私好みだな~
来年もう一台増えるかもよ!?
俺はCB1300ボルドールがええけどなぁ
それもABS仕様!?
お二人とも期待しておりますので今後ともぜひよろしく・・!!
ぐずぐずしないで出発しますよ!!
早く走らないと暑くてたまらん・・。
やっぱり「CB1100」いいですよ。
夏の風物詩「そうめん流し」を楽しみます。
ついに来たぞ~ そうめん早く食べたい!!
どう・・疲れなかった!?
楽しく快適だったわ!!
ねぇ~私は聞いてくれないの??
あえて屋外ステージ貸切りです。
(播州揖保の糸) 氷ノ山系冷水で味わう
これが「揖保の糸」旨そうだな!!
暑いのに、わざわざ屋外で食べるとは・・
よう~やるで~
いや~うまい!なん杯でも行くぞー!!
粋なタオルなかなかお似合いよ。
ちょっと食べすぎじゃないですか??
僕も先ほどからそんな気が・・。
あの人たち“桶”何階建てにする気かしら。
私たちは上品に行きましようね。
当然です。
恥ずかしいぐらい凄い高さね!!
そっ、そぉ~ですね・・。
こちらは静かに味わっています。
ニジマスが旨めぇ~~
僕も食べようかな・・。
播磨の風土と揖保川の清流に育まれて500余年
手延素麺「揖保の糸」は良質の小麦粉・揖保川を中心とした
播磨地方の清流・赤穂の塩を原料とし、
伝統の製法で幾度も成熟をかさねて作りあげた逸品です。
そばの池ではニジマスが元気に泳いでいます。
塩焼きにすると・・ほら美味しいそうでしよう。
みんな大満足のようです。
お腹が満たされたところで次のポイントに向かいます。
何回もいいますけど奥に見える「CB1100」やはり最高ですよ。
安全運転でいきますから遅れないようにね。
第二ポイントに到着。
暑い、暑いーー!!
まるでハチに刺された位暑いーー!!
言っとくけどオイラ“美女”は刺さね~だ。
おっ、おたまじゃくしがこんなところに??
みんなポストが冷たくて涼しいよ。
しばらく休憩タイムです。
<特別追加映像>
客車「くろがね号」を連結した明神電車です。
明かりは薄暗い裸電球数個で、車内は大変狭くピーク時は二十人ほどが
膝を突合せて乗り込みました。
「くろがね号」は大人一人でこのありさまです。
<車内の老人は当時の現役運転手さん>
運賃1円。
日本―安い鉄道が、兵庫県養父市(旧大屋町)の明延鉱山にあった。
産出したスズを大量輸送するため三菱系の鉱山会社が開通させた明神電車だ。
明延~神子畑間(6km)そのほとんどがトンネルで狭い客車内は薄暗く
最盛期には一日に何往復も乗客輸送をしていました。また、当時の
パンタグラフは大変お粗末でトンネル内でよく走行不能に陥り大変でした。
高度成長期には人口も四千人に膨らみ、「東京にあるものはすべてある」
と言われるほどに繁栄していました。
目抜き道りには飲食店街、電器店、衣料品店、食料品店、美容室、百貨店
時計店、クリーニング店、おもちや雑貨店、パチンコ店、旅館などなど
約50の専門店が並び、鉱山従業員は住宅・電気・水道高熱費などは
ほぼタダ同然で、また鉱山会社が従業員のための厚生施設として
テニスコート、バレーコート、ビリヤード、プール、図書館、大型病院
大型スーパーマーケット、大浴場、写真の劇場付映画館など充実した夢の町。
まさしくお山の天国でした。
特に劇場付映画館では、封切の新作が毎週二本立て、三本立てで上映され
年に一度の山神祭には、時のトップスター達の公演が開催され
当時20才の島倉千代子さんが「東京だょおっ母さん・からたち日記」
などを熱唱しました。
その時代の人には懐かしい歌手「畠山みどり・神戸一郎・井沢八郎さん」など
毎年人気歌手が公演におとずれ町の人を楽しませた。
全員で記念撮影。
第三ポイントを目指して先を急ぎます。
第三ポイントに到着。
明治から昭和まで鉱山で栄えた明延と神子畑です。
明延鉱山で採掘された鉱石はここ神子畑で選鉱・精錬されました。
ムーセ旧居(旧神子畑鉱山事務舎)
明治5年(1872)に生野鉱山外国人宿舎として建設されました。
明治20年に神子畑鉱山の開発とともにこの地に移設され、事務舎
診療所として利用されてきました。フランス人技師のムーセが暮らした
建物と言われ、ムーセ旧居の名で親しまれています。
神子畑選鉱所跡地
当時はこの場所に大スケールの選鉱所が存在していました。
ムーセ旧居内部
すんげぇ~設備やなぁ~
なんと大掛かりな!
昔の人はとにかく凄い!
いろいろ勉強したところで記念撮影。
楽しかった【地図のない旅】もそろそろ終わり。
最後のワインディングですよ。
あぁ~疲れた~~
でも充実したツーリングやった満足、満足。
ど、根性・無事カエル!!
企画制作 技研クリエイティブ工房
いつも一緒、素敵な貴方と
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